宝物・古文書

宝物・古文書の紹介

日枝神社では、国の重要文化財に指定されている
紙本着色山王霊験記一巻をはじめ、
歴史的に貴重な宝物・書物が
数多く残されています。

ここでは、日枝神社鎮座900年記念誌より
一部を抜粋しご紹介します。

沼津日枝神社 宝物庫

山王霊験記

山王霊験記は、近江(滋賀県)の日吉山王社の霊験に関する説話を絵巻にしたものの一部です。
中世末期の公爵日記に、「山王縁起 十五巻」「日吉社縁起 十五巻」という記載が見られることから、およそ十五巻分の絵巻として制作されたものであることがわかります。
静岡・日枝神社蔵の一巻は、その巻第五の一巻に該当します。
弘安11年(1288年)初春(正月)廿二朝(二十二日)に、後世の手本として当社に調進されたことが巻末に記載されています。

山王霊験記の遺品として最古のもので、13世紀末の作品。重要文化財に指定されています。

山王霊験記 重要文化財指定書
山王霊験記
山王霊験記 挿絵
山王霊験記
山王霊験記 重要文化財指定書
山王霊験記
山王霊験記 挿絵
山王霊験記

日枝神社の宝物

日枝神社の宝物をご紹介。日枝神社鎮座900年記念誌より一部を抜粋しご紹介します。

獅子頭の面

当社草創=永長元年(1096年)当時より伝わるものと推定され、当社で最も古い宝物の一つ。
縦35cm、横31cm、厚さ14cm。

獅子頭の面

獅子頭の面 一対

雄雌一対とも見える獅子の面。時代推定桃山期(16世紀)

獅子頭の面 一対

古鏡 一面

江戸時代初期のもので直径12cm、厚さ1.7cm、白銅製。「天下一出雲守」の銘あり。

古鏡 一面

太刀 一口(ひとふり)

慶安2年(1649年)黒田衛門佐光之より奉納された太刀。長さ72.5cm、中心(なかご)長さ19.8cm、総長92.3cm、反り3cm。

太刀 一口

推定年代は戦国時代か江戸時代。奉納者は不詳。栗葉形のものに「助房」の銘あり。

鏃

汐見返しの石

この石は今から800年昔、狩野川べりに積んだ石垣と思われます。この石垣は三枚橋城築城の際に使われました。
昭和60年頃の工事の際にこの石を残し保存しています。

汐見返しの石
汐見返しの石

源頼朝公 富士巻狩大釜

建久4年(1193年)、源頼朝公が富士山麓大巻狩の際、炊飯に使用したもので、現在破損してその半片を残すのみですが、江戸時代の文献もあります。

源頼朝公 富士巻狩大釜

神輿(三基)

奉納は、享保8年(1723年)当市上土町 豪商樽井幸右衞門。台座の裏に以下の刻字があります。

奉造営 神輿三丁
祈願 代々子孫繁昌 家門長久
願主 駿東郡上土町住 樽井幸右衞門良安 謹言
干時享保八年癸卯年九月吉祥日

文化4年(1807年)9月に補修されたことが記されています。
880年記念に際し復元の大補修を行い、250年前の姿を再現しました。
この神輿は、毎年9月の例祭にはこれを奉じて氏子町内を練り歩きました。昭和40年以降は、交通規制によりこれを取りやめ、今後は神輿倉に奉安することになりました。

神輿

京極為兼卿筆書状

京極為兼(きょうごく ためかね)と二条為世(にじょう ためよ)はイトコにあたります。
勅撰和歌集の撰進者に為兼一人が就任することに対して、自分もその一人に選任されることを希望した為世は訴陳しました。
これに対し為兼は、かつて京極中納言(藤原定家=為兼らの曽祖父)が、一人で勤めた先例があるから差し支えないではないか、そして訴陳によって撰進者に登用された例もない、と反論したのがこの書状です。
本書状がいかなるいきさつから当神社へもたらされたかは不明です。
沼津市の有形指定文化財に指定されています。

京極為兼卿筆書状

神社絵図 第1図〜第3図

神社絵図 第1図

神社絵図 第2図

神社絵図 第3図

日枝神社の古文書

日枝神社の古文書をご紹介。日枝神社鎮座900年記念誌より一部を抜粋しご紹介します。

武将の神領認定状

戦国時代に武将が交替すると、神領 (しんりょう=神社の領有地)に対し、改めて墨付が交付されました。ここでは、当社で保管する一部を紹介します。

今川氏輝神領安堵判物

今川氏輝神領安堵判物

今川義元神領安堵判物

今川義元神領安堵判物

北条氏政安堵判物

北条氏政安堵判物

堀越公方神馬寄進状

堀越公方神馬寄進状

三枚橋城主松平周防守文書

三枚橋城主松平周防守文書

旧幕府御朱印返納始末

旧幕府御朱印返納始末

徳川家御朱印

日枝神社祭禮行列図(三巻)

この絵巻物は、日枝神社祭典の「浜下り」神事の行列の模様を描いたもので、画工は当時沼津に在住していた歌川一運斉國秀です。浮世絵絵師歌川豊国の流派をくむ画家で、千本長谷観音の百二十反の大観音曼陀羅の作者として有名です。
内浦・西浦・戸田方面の神社に奉納された大漁や航海安全・出征記念の絵馬には、一運斉国秀の名が数多く見られます。
明治17年、秋の大祭の当番町の三枚橋町は、この記念として国秀に2年の歳月をかけさせこの大絵巻を作りました。
明治19年9月、神社に奉納しましたが、その後再び絵巻物を奉納した当番町がなかったことからも、いかに費用と労力を要したかが推測されます。

この絵巻物三巻の長さは、第一巻 11.35mm、第二巻 13.27m、第三巻 14.98m、全巻合わせると39.6mの大作です。(幅32.5cm)

日枝神社祭禮行列図

日枝神社祭禮行列図(一巻)

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日枝神社祭禮行列図(二巻)

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日枝神社祭禮行列図(三巻)

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